おもしろきこともなき世をおもしろく。のブログでは威勢のよい「アンチャン」がたまたま藩内の身分があったために、周繕上手な井上聞多あたりを使い藩庫から金を引き出し、それで「船を買う」と言って上海に行く許可を得るも、その金を長崎・丸山遊郭で湯水の如く費消。再び井上聞多に縋り付き、再度金を引き出しついに上海に渡ります。買い入れた「オテントサマ丸」は何とか藩に納まるも、今度は藩内の無頼まで駆り出し「奇兵隊」を結成。守旧派の藩内上席を尻目に一気に藩論を攘夷に持ち込む!無謀にも英仏など四国に宣戦布告し遂に敗れます。
そんな破天荒の英雄児ではありますが、やはり「愛すべし高杉」となるのは伊藤博文が、その墓所「東行墓」に刻んだ「動けば雷電の如く発すれば風雨の如し、、云々」があるからだと思います。
一代の放蕩児でありながら、歴史の偶然はあの時代にこの若者を据え、彼は天の配剤の如く、その使命を尽くしたのでしょうか?
幕末の所謂「志士」と呼ばれた人物の中でも面白さでは随一だと思います。
平和な時代ならどのような人生を歩んだのか?
興味は尽きません。
実は高杉晋作は、長州藩が外国船を砲撃したため
欧米列強の艦隊に攻撃されて砲台を占領されてしまった
戦いに晋作は全く関与していませんでした、関与でき
なかったのも無理はなく長州の獄中にいました。
藩の政争でパクられて晋作は牢屋にブチ込まれていました。
長州は外国との戦闘に敗北して講和交渉を迫られて
いて、交渉は長州にとっては負け戦の侘びを入れる席で
誰も長州藩代表の交渉役を引き受けませんでした
誰も、そんなことを進んでやる者はいなかったが
晋作は、牢屋から無条件で放免されるのを条件に
この講和の交渉役を引き受けました、いままで牢屋に
いたものが使節をするのは不味いため晋作は
「宍戸刑部」という偽名で黄色づくしの公家のような
衣装をして西洋の使節に対してメンチを切ったというそうです
西洋側は長州に対して賠償金と領土割譲を要求
晋作は長州は幕府の代理で国防のために不審船を
砲撃したわけで、だからといってボラれる云われは無い
文句があるなら幕府へ話しを持っていけ、長州は
びた一文も一坪でも土地を召し上げられる道理はない
と一環して拒否をし、西洋代表が食い下がると
日本の歴史を神代から幕末にいたるまでの詳細を
長々と語り、それは通訳の井上?が骨が折れまくる
ほどの長口舌で、西洋代表は、たじろいで煙に巻かれ
ついに高杉晋作は長州には賠償も領土割譲も
無しの奇跡的な交渉を成立させた。
だが長州の過激攘夷派が晋作は異人と話し合いを
するケシカラン奴だ斬れなどと息巻いたため
晋作はバカらしくなって、そのまま長州からタカトビして
長崎へ行ったという。